開始の時間が迫ってきた。この日のライブのチケットは発売からすぐにソールドアウトしてしまっていたので、当日券はない。それでも入り口の方では出たところ勝負で来られたお客さんも数人いた。
そんなお客さんは、拾得のお母さん、フーさんに何とか懇願するも、フーさんは「1人入れてしまうと他の人も入れないとダメだから申し訳ないけど断ってます」とはっきりとお客さんに言っていた。お客さんは力なく、肩を落として帰られていったが、こればかりは仕方のないこと。フーさん、さすがやなぁと思いながら、横目でそのようなやりとりを見ていました。
それから、しばらくして開始の時間がやってきたので、楽屋に上がってお知らせしようとしたが、オクノさんが横になっていたので、声をかけずにそのまま下に降りていった。
というか、ただ横になって体を休めているだけなはずなのに、殺気だったその後ろ姿に声をかけられなかったと言うべきだろうか。
殺気立っているとは、ちょっと脚色してるとこあるかもしれないけど、これから1人で歌う彼に対して
開始も終了もオクノさんの、オクノさんしか立ち入れない部分のようにも思えたからだった。
そうこうしているうちに、オクノさんがするすると階段から降りてきて、よっこいしょと舞台に立ってギターを爪弾き歌い始めた。それからの記憶はあまりない。(大げさかな)
というか、不思議な空気が流れていて、なんというか、ライブを見ていると言うよりかは、祈りにきているような気持ちでオクノさんを見ていた。みんな祈りに来たように思えた。
オクノさんは以前私にこう言った「私は歌うというよりかは、祈っているという感じに近いんです」
オクノさんという一人の祈りを捧げている者の背中を見ながら、私たちは祈っていた。
その細い身体、指、今にも消えそうな声。
実際にオクノさんは、命を削って祈ったのだと思う。だから、もうあんな歌い方をして欲しくないと、今なら思う。
でも、オクノさん自身があの日、あの場所で歌う必要があった。拾得の周年を引き受けた時、私もたまたま、お隣にいたのだからその時の表情や気持ちがありありと思い出される。
ライブが終わったオクノさんは人間界に戻っていつも通りコーヒーを入れている。ケタケタと無邪気に笑いながら。